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名古屋地方裁判所 昭和42年(ワ)2671号 判決 1968年7月20日

原告 日本グランドレコード株式会社

右代表者代表取締役 酒井実

右訴訟代理人弁護士 堀部進

松永辰男

被告 伊藤元治

<ほか二名>

右被告等訴訟代理人弁護士 山田正武

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は被告等は原告に対し連帯して金五百万円及びこれに対する訴状送達の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。との判決と仮執行の宣言を求め、請求の原因として、(一)原告はレコードの吹込、販売及び興業等を業とする。(二)原告と被告伊藤元治の間で昭和四十一年六月十日左記約旨の契約が成立した。

(1)  原告は同被告を準専属者として採用する。

(2)  契約期間は昭和四十一年六月十一日より一年間とする。

(3)  同被告は右期間満了後向う一年間は原告の許可なくして原告と同一職種のレコード会社での吹込及びテレビ、放送、ラジオ放送及び舞台等これに準ずる職種に出演若しくは従事してはならない。

(4)  同被告は右契約違反行為をなした場合原告に対し違約金として金五百万円を支払う。

(三)被告伊藤金松、被告伊藤行夫は被告伊藤元治において右契約違反があった場合は同被告と連帯して原告に対し金五百万円の違約金を支払う旨約した。(四)被告伊藤元治は原告の許可なく右契約終了後一年間である昭和四十二年八月十六日午後七時より同七時三十分までのCBCテレビ全国対抗歌合戦において「赤いグラス」、「白い慕情」の二曲をうたって前記(二)(3)の約旨に違反して原告に損害を与えた。(五)よって原告は被告等に対し右の違約金金五百万円及びこれに対する訴状送達の翌日以降右完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。と述べ、被告等の主張については、被告伊藤元治が右違約金の約定をしていないというがこれは形式的杓子定規的な解釈に過ぎない。甲第一号証に一体として附加されている誓約保証書によると同被告は「貴社専属契約書、規約、貴社命令、その他の事項を遵守し」となっており、右保証書の裏面において被告伊藤行夫、同伊藤金松が被告伊藤元治と連帯して違約金を支払う旨約していること等を綜合して判断すれば被告伊藤元治も勿論右違約金支払義務を負担しているものと理解できる。又本件保証契約書の趣旨は被告伊藤元治の故意又は重大な過失により原告に損害を与えたときは原告においてその実損害を立証して被告等に対しその賠償を請求することもできるが、実損害の立証なくして違約金の請求もでき、又両者を併せて請求することもできるというものである。本件に限って違約金の一般的な法律的性質を変更したものということはできない。尚右の「故意又は重大な過失により貴社に損害を与えた」場合の中には右被告の故意又は重大な過失による本件契約書違反により原告に損害を与えた場合を含むことは当然であり、従って右被告は本件においては故意に本件契約に違反する行為をなしたのであるから、原告は被告等に対しその損害の立証なくしても違約金の請求をなしうるのである。次に公法上の関係においても所謂特別権力関係にある場合は一定の限度のもとに基本権の制限も許容されうることに対比して私法上の関係においても然りとせられねばならない。本件の如く世人の羡望の的である歌手の準専属契約であり、一年という期限付でその間一定の出演行為をしないこと等が条件であり、生存権、人身の自由権を害し、人間としての尊厳を害するものでない場合であるから当然本件契約は有効である。所謂自由権を極度に侵害したものではない。右の次第であるから被告等主張の如く契約書第九条を制限的に解する理由はない。被告伊藤元治の本件出演は契約書第九条の出演に変りはない。前記の如く本件契約は世人の羡望の的である歌手準専属契約であり、これにより一躍スターの座につくことも出来る機会がつかめるのである。従って世人はこのような契約を自ら進んで締結したいと望むのであり、右被告もその例外ではないとみるのが通常である。金五百万円の違約金は一般的にみれば高額のように考えられるが芸能界の特殊性を考えれば必ずしも不当ではない。本件を芸娼妓契約と対比して論ずるのは見当違いである。同被告が進んで本件契約を締結したものと認められる場合は原告が被告等の無学、無思慮に乗じたというが如き事実のあったものとは到底認められない。右にみた通り本件契約は完全に有効にして権利濫用の主張は理由がない。と述べた。

被告等は主文と同旨の判決を求め、答弁として、請求の原因たる事実(一)、(二)の(1)、(2)、(3)の契約の成立したことを認め同(二)の(4)の点を否認し、被告伊藤元治は違約金の約定をしたことはない。同(三)の点を争い、被告伊藤金松、被告伊藤行夫が身元保証人として保証契約書(誓約保証書と称する書面の裏面)に捺印したことはこれを認めるがその内容は本人被告伊藤元治の故意又は重大な過失により原告に損害を与えた時は違約金として金五百万円を支払う約のもので契約違反があった場合は直ちに違約金を支払うべき内容のものではない。同(四)のうち被告伊藤元治が原告主張の日時にCBCテレビ全国対抗歌合戦の番組において「赤いグラス」「白い慕情」の二曲をうたった点を認める。しかし前記契約書の各条項に照らしても何等違反の事実はなく、又これにより原告は何等の損害も蒙っていない。(一)そもそも自由権の如き基本的人権は侵すことのできない永久の権利として公共の福祉に反しない限り最大の尊重を必要とするものであって(憲法第十一条、第十三条)、私人間の法律行為においてもこの憲法の精神に反する場合においては民法第九十条にいわゆる公の秩序善良の風俗に反するものとせられる結果私法上も無効とされるとするのが近時の通説である。しかりとすれば本件契約の如くわずか金三千円の契約金をもって契約期間満了後向う一ヶ年にわたり被告伊藤元治の自由権を極度に制限するのは公序良俗に反するものとして無効とされねばならない。従ってもし百歩を譲って契約書第九条の如き規定(請求の原因たる事実(二)、(3))に最小限の有効性を与えんとするならばこれを特に厳格に解し「同一職種にある云々」とは「他のレコード会社と専属若しくは準専属契約をし、かかる身分をもってレコードの吹込、テレビ放送、ラジオ放送、舞台等に出演してはならない。」と読むべきである。被告伊藤元治の出場した前記CBCテレビ全国対抗歌合戦は純然たる素人歌合戦でNHKの全国素人のど自慢コンクールに類し、同被告は右準専属契約期間満了後これに全くの素人として出場したものであり右契約条項にいわゆる「出演」には該当しないことが明白である。(二)本件身許保証契約によると被告伊藤金松と被告伊藤行夫が被告伊藤元治の身許保証人として一定の条件の下に違約金金五百万円を支払うべき旨の約定であるが前記の如く契約金はわずか金三千円、準専属料は月額金二千円に過ぎなく、かかる僅少な契約金をもって実質二ヶ年間の自由を拘束し金五百万円もの巨額の違約金を定めるのは暴利行為でその反公序良俗性においてはかつての芸娼妓契約にも比すべきものがある。(三)右契約が被告等にかかる苛酷な条件を科しながら原告側の不履行に対しては何等の定めのない全く不衡平極りないものであり、被告等の無学、無思慮に乗じたものでこの点からもその反公序良俗性が明らかである。(四)しかも被告伊藤元治の些細な行為を契約違反なりとして多額の損害賠償責任を追及せんとする原告たるや僅か月額金二千円の準専属料すら昭和四十一年十二月分以降全く支払わず、ステージ出演料、吹込料等も全く支払わず、この間津、名古屋間の電車賃を含む交通費一切も同被告において負担し、原告はこれをも支払わず、自ら履行し易き義務を履行せずして省みず、他を責め多額の賠償請求をするが如きは信義誠実の原則に著しく違反し、権利の濫用であって許されない。

と述べた。

証拠≪省略≫

理由

請求の原因たる事実(一)、(二)の(1)、(2)、(3)の各点は当事者間に争がない。然るに成立に争のない甲第一号証(契約書、誓約保証書、同裏面身許保証書)を仔細に検討するも右(二)(4)の点を認定することはできない。ただ被告伊藤行夫、被告伊藤金松が身許保証人として署名捺印せる右身許保証書(契約書と誓約保証書には被告側としては被告伊藤元治の署名捺印のみを存し、これらには違約金に関する条項を存しない。もとより身許保証書には同被告の署名捺印はない。)の文面は、「私等は右誓約本人の身上に関する一切の責任を負い、万一右本人の故意又は重大な過失により貴社に損害を与えた時は、身許保証人として右本人と連帯して賠償(賠償の誤記と認められる。)の責を負うと共に違約金として一金五百万円也を支払い貴社に迷惑はおかけ致しません。」とあり、その構文稚拙未完難解を極め、容易にその正鵠なる解釈を下し難い。特に「身許保証人として右本人と連帯して賠償の責を負うと共に違約金として一金五百万円也を支払う」くだりの如きはこれを如何に解すべきかはたと当惑の念を禁じ難い。「右本人と連帯して」が「右本人の故意又は重大な過失により貴社に損害を与えた時」における「損害の賠償の責を負う」点と共に「違約金として一金五百万円を支払う」との点にまでかかるものとせんか、前記説示の如く被告伊藤元治には右違約金の責務を認められないので右各身許保証人が右本人とこれを連帯して支払うということはナンセンスであり、右違約金の支払が右各身許保証人のみの責任とせんか、それが連帯責任であるかどうかについても問題を存するも暫くこれを措き、右各身許保証人に個有の違約の廉を存しなければならないこととなり、その違約の内容は如何なるものかについてもこれを捕捉することは容易でない。或は又右各身許保証人自体に違約の廉はなくとも右本人の違約につき右各身許保証人に違約金の支払義務を定めたものと解することができないこともないかも知れない。そうであるとしても≪証拠省略≫によると堀江公子、森本克美、吉本音松及び右被告等はいずれも二十才から二十五才までの若年でローカルな素人歌謡コンクールで入選した程度の歌い手であるがその後十分な準備期間をおくことなく間もなく原告の勧めで一年間だけ原告と安易な準専属契約を結び(当時原告には右四名の所謂タレントがいただけである。)せいぜい二、三枚のレコードの吹込みをなし、(その価値についてはこれを証すべき証拠はない。)十回前後カフェー、キャバレー等で出演してみたものの、一年経過後は全員原告に見切をつけて右の如き所謂芸能活動から足を洗い他に転職した程度のものでもとより原告と専属契約を結ぶに至らなかったものであることが認められ、これに証人北爪利一郎の証言により認められるように日本有数のレコード会社であるテイチクの専属歌手にしてもその違約金は金十万円程度のものも存することを斟酌するときは前記金五百万円の違約金は右の規模の原告会社にあった被告伊藤元治程度のものに関してはその生活の基盤を根底より脅すというも過言ではない程度に著しく過当であることが顕著であり、右甲第一号証における前記身許保証契約中右金五百万円の違約金の約定部分は公の秩序善良の風俗に違反して無効であるものと断ずる外はない。原告の提出援用にかかる証拠中右認定に反しその主張に副う部分は被告等の右各証拠に対比して措信しがたく、よって被告伊藤元治が原告主張の日時にCBCテレビ全国対抗歌合戦の番組において「赤いグラス」、「白い慕情」の二曲を歌ったことは被告等の認めるところであるがそれが違約になるかの点(右が違約になるとしてもこれにより原告に幾許の損害を加えたかの点については何等主張も立証もない。)その他の争点について判断をなすまでもなく原告の請求は失当であることが明らかであるのでこれを棄却し、民事訴訟法第八十九条により主文のように判決する。

(判事 小沢三朗)

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